「夢」という美しく暖かい一字。
私どもはこの言葉にはるか遠くを見つめながら癒されたり、はげまされたり、時には、人生の重要な決断を促されたり、勇気と行動を与えてもらったりしております。「夢」物語は追いつくことのかなわぬ非現実的なはかない「夢」とあきらめてしまうか、それとも、この世、この現実で描き見るかぎり、いつの日か現実的な物語として何らかの形に成し得るものと日々努力精進していくか、というところでしょうか。
たねやも、創業以来この「夢」だけは捨てず、一つひとつ形にしてまいりました。かつての近江商人たちが大都市に続々大店を設けたように、私どもも1984年(昭和五十九年)、はじめての県外店として東京日本橋の百貨店に出店させていただきました。夢、のような緊張感あふれる現実。鄙びた近江の一菓子家のあるがままの姿をお見せしようと、スタッフ共々奮闘したものでございます。お陰さまで、この出店がたねやを今日の姿に成してくれました。もちろん単に売上げが伸びたなどということではなく、「夢」に「夢」を重ねていく可能性と、たねやのお菓子や商いに対する姿勢、少々大袈裟な言い方をすれば、たねやの企業としての生き方をお客さまにご理解いただき、また多くのご教示はもちろんのこと、何よりも未来につながる元気をいただきました。
「夢」を現実的な形にしていくうえで大きな力となるものに、縁というものがございます。広い日本の中で、近江八幡の歴史と風土が招来させたものなのか、1903年(明治三十八年)、敬虔な宣教師であり、且つ又、優れた建築家でもあったM・ヴォーリズが偶々たねやの近所に住まわれることとなりました。戦後間もなくこのヴォーリズさんの勧めで洋菓子の製造販売をはじめたのが、今日のクラブハリエの前身でございます。いつも家庭的な手づくりのあたたかさと風格を大事にされたヴォーリズさんの教えそのままに、最初は県内のみでございましたが、大阪の百貨店からお声がかかり、こつこつと守り続けてきた、しっとりとしたバームクーヘンを、この味ならばと一品のみで賭けてみました。夢をはるかに越える大好評をいただきました。お陰さまで、クラブハリエは今やたねやを追い越す勢いまでに成長しております。
しかし、このような道のり、経過は申すまでもなく決して完全なものではありません。急ぐあまりどこかで何か大切なものを置き忘れてきたのではないか、あるいは一段落してから、と多少おろそかにしてきたのではないかと思うことがございます。それは言うまでもなく「菓子家とは何ぞや」という改めての問いかけでございます。味にしろ、品質の管理にしろ、またたねやの職人、社員としての人間形成にしろ、今一度原点に戻り、基本に立ち返り、しっかりと不動のものを作り上げていかなければならないと感じております。それには、人づくりの重要性は言うまでもないことでございます。かつて近江商人たちは、教育、人間育成ということには驚くほどの力の入れようでございました。そのために、もちろん幾つかの学校も設立したときいております。次代を担う若い人々に夢を持たせ、専門教育を施し一つ一つ形にしていくことの重要性を教え社会に送り出しておりました。
私どもはこのような自らへの問いかけと共に、現在、菓子学校設立に「夢」を描いております。現在、近江の、また近江商人の知恵こそ、欠くことのできないものであり生活の糧ではないか。そこでは、お菓子づくりとは何ぞや、という問いかけのもとに、地元近江の尽きることのない、このような知恵を活かし、基礎 基本をしっかりと身につけるたねやならではの専門教育を、と夢がふくらみます。
粗暴きわまりない宮本武蔵をまっとうな人としての道を歩ませ教育したのが沢庵和尚。京都大徳寺百五十三世に出世された高僧ですが、「夢」という一字を事の他大切にされたということです。奇しくも縁あり、たねやのロゴを同じ大徳寺五百二十世住持、福富雪底老師にご揮毫いただいたのも、夢を捨てずに歩んで来た 有り難い精進鞭撻の三文字、と社員一同心得ております。



